自分の「頭」を信用しない
自分の「頭」を信用しない方が良いなと、つくづく思う。
そう思う場面がここ4.5年で結構あったし今もある。
頭はそんなに高尚な物でも、自分を主導している物でもなく、土台としての身体の調子に振り回されている。
というか、むしろ身体の方が自分を主導しているよなとも感じる。
頭で考えられる世界の範囲も、物差しも、5年も経てば全然変わってる。
自分の思考も行動も、頭で考えてる理屈は大体は後付けでしかない。
そんなに、頭は自分の主導権を握っていない。
普段から自分のことを見ていると、あまりにも気分や体調によって、考え方も頭の中で考えてることもテンションもコロコロ変わるので、良くも悪くも気分屋だなと思いながら眺めている。
その気分とやらは大体が身体の調子から来ているのだろうなというのが、ここ4.5年で体感を伴ってようやく分かり始めた。
不安が大きくなっている局面とか悲観的になりすぎる状態の時は、特に色んなことを考えてしまうけど、逆だよなとも思う。
そういう時こそ、自分の「頭」を信用しない姿勢がいるし、意図的に「考えない」という技術を使う必要がある。
自分の頭を信じるより、自分の思考を信じるより、自分の言葉を信じるより、自分の身体と行動を見た方が良い。
「やりたい」と頭で考えて口で言ってはいるものの、身体が「やっていない」場合は、それは「やりたくない」と見なせば良い。
これは別に、何かを責め立てたいわけでもなく、自分や他人への理屈じみた説教でもなく、ただ、身体が正直に答えを出しているのだから、身体を信じてあげれば良いという話。
頭は周りを見るし、空気を読んでいる。
ただ、社会の中で大人になるのは頭であって、身体は子供の時と変わらない。
身体は自分のことを一番よく知っている。
自分の決め事として使っても良いなと直近で感じたのは、身体が求めている事が出来ていない時は、そもそも考える土俵に立っていないと見なす方針。
早寝早起き・食事・運動習慣が揃ってない状態は、そもそも土俵に立ってないから、何かを考えなくて良い。
そういう時は、まずは土俵に立つための行動だけを黙々とすれば良い。
自分の頭を信用しすぎている。
頭を高尚な物にしすぎている。
自分の主導権は身体にある。
自分の考えてることなんか、そんなもの全部身体の調子の照らし合わせでしかなく、大体ただの「まやかし」くらいにしとけば良い。
という考え事は全部「頭」の仕業ですね。ワロタ
